実際に入学して通学が始まってしばらくして、どうも予想した内容と違うな,という印象をあちこちでもつようになりました。
一番不愉快だったのが一般教養科目の存在。大学に行けば自分の好きな科目を好きなように履修し、好きな勉強が出来る、と思っていたのに、これとこれを履修しなければいけない、何単位以上とらないと卒業が云々、とかやたらに制約が目立ちます。
しかも一般教養の実際の講義は、数百人も入ると思われる教室で、教授はマイクを持って勝手にしゃべり続けるだけ、という状況。
いったい俺は何のために授業に出ているんだろうか、とふと思ったのが運の尽きで、それ以後さっぱり大学に足が向かなくなりました。
校門を入っても学食に行ったり、パチンコや麻雀、ビリヤードと遊んでばかり。
しかし時の経過と共に、実は自分に大学への甘えがあったことを徐々に認識するようになりました。
つまり大学は何か面白いことを私に教えてくれるとか、自由である、という先入観を持っていたことに気が付いたわけで、それがわかってきたのは、年の暮れ大晦日の頃。
そうか、発想が逆だったんだ。大学は教えられる所ではなく、自分が自分にとって必要な勉強を学びに行く場所であり、受け身で通学するのではなく、自分から主体的に動かなければいけない所なんだ、と、本来なら入学前にきちんと考えて置かなくて行けない問題にようやく終止符を打てました。
結局1年生は2回やることになりましたが、この発想の転換によって、それ以後私は比較的楽しく充実した大学生活を送ることができました。
あちこちの学科でおもしろそうな授業があると、聴講生の形で出席したり、中には単発で授業にもぐりこんだり、物理とはまったく関係ない哲学や夏目漱石論を聞きに行ったりしました。
卒業時には教職の単位も取っていたので、修得単位数はかなりの数になりました。成績の方は、当然下から数えた方が早い状態です。でも私は自分の考え方や生活に、充分満足していました。
というような話を生徒に時たまするのですが、生徒にとっては未知の領域であるし、ある意味では挫折の記録であるので、結構みんな真剣に聞いてくれます