プロフィール

(詳細版の1)

 今から30数年前に理系の大学を卒業。ちょうどその頃から生徒数の急増期となり、教員の採用枠が広がっていた頃です。

 私の数年前がいわゆる団塊の世代となります。つまりここ数年に渡って、これらの世代が大量に定年を迎えるわけです。

 大学を卒業するおよそ半年前に埼玉、東京、神奈川、愛知の高校教員採用試験を受験。この頃は関東の中で受験日程がずれていたので、いくつかの県を同時に受ける事が出来ました。

 愛知というのが突出していますが、実は大学時代に父が心臓の病気で急逝。いきなり一家の大黒柱?になってしまったため、当時お世話になった親戚がいる愛知県も受験しました。

教員採用試験の結果ですが、埼玉と神奈川に合格。愛知はやはり居住地が離れているということがネックになったのか不合格。東京は受験した記憶がありません。

 今でもそうですが、教員採用試験に合格したからといって、すぐに教員になれるとは限りません。合格とは採用される候補になれた、ということを意味し、候補者名簿を県や各校の校長が見て、最終的に採用されることになります。

 この頃は夏休みに1次試験、秋頃に面接等の2次試験があり、12月に合格発表。その後は採用してくれる校長からの連絡を待つというシステムでした。従って、同時に民間企業への就職を志す人もいました。

 そうしておかないと、3月まで待って採用がなかった場合、どこにも就職できないという事態が起きるからです。

 年が明けて、1月ぐらいでしょうか。はっきり覚えていませんが、埼玉と神奈川の両方の某高校の校長先生から、採用したいんだが、という打診を受けました。

神奈川と埼玉、どちらにするか、かなり真剣に悩みました。結局都会的な学校より、ちょっとばかり都心と離れた田舎風の学校(若いときの埼玉県への第一印象ですから、多少偏見が入っています)の方が、ノンビリと教えられるかなと考え、埼玉を選びました。

 さて、詳細を書くと具体的な学校名が推測されて、当該校に迷惑がかかる可能性があるので、あまり詳しく書けませんが、最初の勤務先は定時制でした。

 定時制の授業開始は夕方で、途中食事をして、終了は9時ぐらい。その後場合によっては1時間程度部活動があります。仕事は基本的には午後の出勤となります。

 当時通っていた生徒の年齢幅は、下は中卒の16歳ぐらいから、上は私よりずっと年上の40歳代で、男性の方が少し多かった印象があります。

 私はまだ20代で、当然それまで社会経験はほとんどなく、定時制の3年生、4年生となると、私よりずっと社会経験が豊富で、むしろ教えられることが多くありました。

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