祈りの効果を考えてみると

 ウィキペディアで「祈り」の定義を調べると、「神などの人間を超える神格化されたものに対して、何かの実現を願うこと」とありますが、単純に考えれば宗教に繋がります。

 しかし悪性リンパ腫と言ったガン患者さんが行うようなものとしての祈りは、そういった宗教とはちょっと違う筈で、自分の体が自然の中で生まれている生物であるという理由から「自然崇拝」として「祈り」を捧げたり、自分の病気そのものが治癒することを願う「祈願祈念」といった性格を持つように思います。

 医療が発達していない社会では、祈祷師なる存在もあり、自然の摂理に則ったと言われている原理を応用して、一心不乱に祈り続けることによって病気の治癒を願うと言うこともあると思います。

 もちろん祈祷された方の中には、自己の免疫力や治癒力によって回復された方もいるはずで、その場合の回復を自己免疫力と考えるか、祈祷の力であると考えるかで、祈祷という意味も違ってくるように思います。

 ただここで言う、いわゆる民間療法としての「祈り」というのは、他人ではなく、自分自身で自分の体の症状が良い方向に向かうことを願って、一定の所作に則って祈りを捧げると言う形で解釈すればいいのかなと思います。

 というわけで「祈り」ですが、その方法も様々あるはずです。私はこういったことに関してはずぶの素人ですから、今更祈りの方法論をここで場合分けして書いてもしょうがないと思っています。

 ただ私の頭の中のイメージとして、「体調が良くなることを願って」

@ いわゆる願掛けのような、一定の所作を繰り返す

A 瞑想の応用として、一心不乱に体調が良くなることを願う

B 何らかの文字を書き続けることによって、それを祈りとする

C ひたすら自分で決めた一定の語句をつぶやく

D 神社仏閣を訪ねたり、ヒーリングスポット言われる場所に出向き、その場で願う
 
等々の方法が思い浮かびますが、致命的な病気であればあるほど、その祈りは切実なものとなり、その方法は瞑想や写経といった状態に近くなるような気がします。

 であるならば、祈りという行為も、ある意味「瞑想」と同じような効果を及ぼすような気もしますが、単純に考えて「瞑想」と違うのは、やはり深呼吸の有無かなと思えます。

 私のここまでの考えでは、瞑想という状態に至るために「深呼吸」をするということが多く、その深呼吸により体内に取りこまれる酸素量が増え、それによって免疫力も上がるのではないかと推論したわけですが、「祈り」の場合は深呼吸を伴うことはあまりないと思われますので、酸素による免疫力アップは望めないなと思えます。

 その代わり、ある事柄を一心不乱に考え続けることによって、もしかすると脳が活性化し、ホルモンの分泌量が変化し、それが何らかの形で免疫力を増強する可能性(逆になる可能性も)はあるかもしれないなと思います。

 また必死に考えている間は、余計なことを忘れられ、ストレスから逃れられるという利点もありそうです。さらに一定の祈りの状態に陥ったとき、思いもかけない治癒力が体の中から生まれてくる可能性は否定できないと思います。

 とここまでが、私が考えた「祈り」に関することですが、果たしてこういったことが実験的または臨床的に証明されているのか、ということをネットで少し調べてみたいと思います。


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