加齢に伴う細胞の劣化は必然

 一度生まれたからにはいずれ最後がやってくるというのは分かっていることです。自分自身が2013年に60歳になって、改めて意識するようになっています。

 いずれやってくることをどのように迎えるか。自分の予想した内容でそれが訪れれば、「やっぱりこうなったか」と思い、「これならやむを得ないか」と思うのでしょうか?

 どうゆう形で最後を迎えるのが理想的なのか、もちろん人それぞれですが、私の場合は昔から気管支喘息で苦しめられ、今もちょっとした風邪で咳が長引きますので、これは思ってもみない病気にならない限り、最後は肺炎かなと思っています。

 しかし当然ながら不慮の事故や思ってもみない病気の可能性もあるわけで、その時はやはり後悔するのでしょうか?まだ自分の中で結論の出ていない問題ですが気になっています。

 改めて日本人の死因というのを調べてみると、2012年の厚労省の人口動態統計で、第一位が悪性新生物で約36万人、第二位が心疾患で約20万人。そして第三位が肺炎で12万人。これまで第三位だった脳血管疾患を僅差で抜いたそうです。

 たぶん、高血圧等の治療や、高齢者そのものが健康維持を目指しウォーキング等を行うことにより脳血管疾患が減少し、代わりに高齢者特有の「肺炎」が多くなったのかなと思えます。

 亡くなられた方の総数は124万5千人だそうですが、第4位までの人数を合計すると80万人ぐらいになりますので、第4位までで64%になります。

 それにしても悪性新生物で亡くなる方が多いです。3割近い方が亡くなっています。長寿社会の宿命でしょうか。グラフで見ると、悪性新生物、心疾患、肺炎の人数は、昭和50年以降、ひたすら上昇傾向にあります。

 この4つの原因を改めて見ていると、なるほど生物としての根幹にかかわる部分が加齢ともに衰えて、機能が失われる過程で最後を迎えるということなのかなと思えます。

 つまり悪性新生物は細胞分裂の劣化、心疾患は心筋や心臓を取り巻く血管の劣化、肺炎は肺の免疫の劣化、脳血管疾患は脳の血管の劣化によるもので、人が生物として生きていく必要最少条件の臓器が劣化することによって引き起こされているのかなと思えます。

 さらに言えばその劣化はすべて細胞単位の劣化であって、体のどこか一部の細胞の劣化による異常増殖が悪性新生物を産み出し、心筋やそれを取り巻く血管を構成している細胞の劣化が心疾患を作り出し、肺胞そのものを構成している細胞や、そこで異物を取り除く作業をしている免疫細胞の劣化が肺炎を起こし、脳細胞そのものが劣化することによって脳血管疾患を起こしているとも言えます。

 早い話が、60兆個ある体内の細胞のどれかが、少しずつ衰えていくことが老化であり、さらに機能停止にまで追い込まれたときに最後を迎えるということなのだと思います。

 まあ冷静に書くとこうゆうことになるのですが、動物や下等生物の場合は、生や死という区別そのものを意識できないと思われるので、あるがままに生き、その生命を全うするわけですが、人間の場合は意識があるので、そこに感情的な悲しみがつきまといます。

 しかし、永遠の命を求めることは出来ても、それを達成することは現代の医学では不可能です。では最後を迎えるとき人は何を望むのか?

 不慮の事故の場合は、もっと楽しい一生が遅れたのにと悔やまれることが多いです。連れのように40代で思ってもみない病気になった場合も悔やまれることが多いはずです。

 だったら80歳、90歳でこういった病気になったら悔やまないのか、というと、それも何となく釈然としません。

 しかし90歳を越して老衰が進み、ある時風邪をひいて、それが肺炎に移行し、天寿を全うしたということなら、この場合は俗に「大往生」と言われ、何となく納得がいきます。

 両者の違いは何なのか?年齢でしょうか?どうも悪性新生物の場合は、自分ではまったく意識していないのに、体の中で勝手に増殖して悪さをする、という予想外のイメージがついて回るような気もします。

 こんなことをクドクド書いたからといってどうなるものでもないのですが、悪性新生物による最後というのは、何故か一般的な病気よりも不愉快な印象がつきまといます。

 しかし細胞の劣化による異常増殖が原因と考えれば、これも老衰の一つであると考えることも出来るなあと思いつつ、うまく考えがまとまりません。


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