告知に向けて

 14日(木)、入院6日目。昨日聞いた話が頭の中で何回も何回も繰り返され、眠りも浅い上に、朝早く目が覚めてしまった。それでも仕事には行かなければならない。職場の上司や同僚にも事情を話し、しばらく早退が続くことを了解してもらった。

 3時過ぎに病室へ。

 午前中に胸と顔のレントゲン撮影。抗生物質が効き目を表して、熱が下がってきた。私の母やYのお母さんが見舞いに来ていた。

 咳がまだ少し出るものの、入院当初より元気は出てきた。ただ一度咳が出始めると止まらない。昨日主治医から聞いた話を伝えようかと思ったが、主治医から直接伝えてもらったほうが信頼性が高いと判断し、胸の奥にしまいこんだ。

 Yは、自分が重病であるとの認識をまだそれほど持っていない。体がだるいだけで、咳以外の苦しい症状がないせいもあるだろう。

 個室で寝泊まりしているので、「旅行に出かけたみたいだ」などとのんきなことを言っている。しかし病名を伝えられたとき、どのような反応を示すか、まったく予想が出来ない。

 家に戻ってしばらくすると病院から電話が来た。「病気の内容について家族全員に話をしたい」、という連絡だった。翌日の夕方6時を約束する。

 正式な病名はいったい何なのか。我々家族はどのように対処すればよいのか。考えてもしょうがないことだが、まさに食事が喉を通らない状態だ。しかし私がふさぎこんだら、息子はさらに寂しい思いをするだろうと思い、なるべく普段通りを心がける。

 今回の入院では携帯のメールがずいぶん役に立った。病状のやりとりや、必要なものの準備がリアルタイムで連絡出来る。また医者からの呼び出しにいつでも応えられるというのは、まさに文明の利器だ。この頃から、夜寝る時も枕もとに置くようになった。

 翌15日(金)。入院7日目である。

 夕方病院へ。再度発熱38.4度。薬が切れたためか、病状悪化のためかは不明。太もものしびれと咳が自覚症状。上半身はまだ大丈夫だが、下半身には相変わらず力が入らず、トイレへの移動が大変そうだ。手の筋肉だけで移動している状態だ。

 試しに筋肉を触ってみると、入院当初よりさらに張りがなくなっている。このまま全身の筋肉が溶けてなくなってしまうのではないかという恐れすら感じる。


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