2月24日(火)。ここのところ、夜は携帯を枕元において寝ている。深夜に1階の通常の電話が鳴った。枕元の時計を見ると、夜中の2時25分だった。
すぐに飛び起き、携帯電話を握りしめ、階下へ急ぐ。受話器をとる直前に切れてしまったが、すぐに今度は手元の携帯に電話。眠気がいっぺんに覚め、「ついに来たか」と覚悟を決める。
看護士さんからの話。
「ちょっと意識が混濁して、モニターの数値が下がっているので、来られるようならすぐに来て欲しいのですが」
「意識はありますか?」
「もうほとんどありません」
とのことで急いで身支度をして、実家と妹さん宅に状況を電話で連絡し、一人で病院に向かった。
昨晩妹さんから、ちょっと快方に向かうかのようなメッセージが入っていただけに、「やはり」「くそー」「なんてこった」「どうしよう」という複雑な気持ちを抱きつつ病院に向かい、未明の道路を突っ走る。10数分で到着。
2時50分。夜間入口の横でうとうとしていた警備員さんを起こし、入館証をもらい病室へ。エレベーターの上昇の遅さにいらつく。いつもの手洗いもそこそこに急ぎ足で病室へ。
見たところ静かに寝ている。看護士さんが見守っている。しかしよく見てみると胸がまったく動いていない。あれほど苦しそうに動いていた胸が微動だにしない。浅く呼吸する音も聞こえない。
当然酸素吸入のマスクもはずされている。まだ意識があると思って駆けつけたのに、間に合わなかったのか・・・。
私の姿を見て、看護士さんが医者を呼びに行く。思わず近寄り顔を近づけ、手で頬を触る。まだ体温が残っている。
涙があふれ、大声で泣きたくなるのを、他の病室の患者さんがいることもあるので必死にこらえる。しかし嗚咽が漏れるのを抑えることはできない。顔をなで、最後の口付けをする。すでに唇は冷たくなりつつある。
「Y、Y、愛しているよ。返事をしてくれよ!」と呼びかけるが、もちろん返事はない。返事がないことは頭では分かっているが、呼びかけずにいられない。
号泣したいが、病室内では泣けない。看護士さんが当直の医師を連れて戻り、医師が経過を説明してくれる。
1時過ぎにトイレ。助けを借りながら自力で行く。便器使用の勧めも断る。人間としての尊厳、意志の強さを感じる。もちろんY自身も、まだまだ大丈夫と思っていたのだろう。
いったん寝入るが、2時20分、突然モニターのあらゆる数値が下がり始める。自宅に電話を入れたときは、モニター上、かろうじて数値が出ている状態だったらしい。
数値が下がり始めて、ほんの5〜10分程度の出来事だったようだ。心拍数が毎分30回に落ち、その後5分で心肺停止となった。
話を聞いて了解したとき、立ち会った医師が、臨終を確認。ついに長かったYの闘いが終了した。
改めて涙をぬぐって顔を見ると、本当に安らかな顔だ。苦しそうに引きつった様子は微塵もない。神々しいとさえいえる。この顔を記憶に刻み込み、闘いに敗れたことを家族に知らせるため病室を出た。長く悲しい1日が始まった。
(了)