一周忌について

巷で行われている一周忌
 
 巷で行われている、または冠婚葬祭についてのサイトをいろいろ見ていくと、一周忌というのはかなり大がかりな催し?であることがよく分かりました。

 親戚縁者に声をかけ、お坊さんを呼び、様々な賄いを提供して故人を偲ぶ、というのが通例のようですが、その準備に要する時間と精神的負担、さらには費用を考えると、頭が痛くなります。

 我が家の場合は、妻の実家を除いて親戚縁者は遠く離れていて、なおかついまだに親交のあるほとんどの人たちが老齢化しています。そんな方達に無理を言って、わざわざ来てもらうのもなんとも忍びないと思っていました。

 また我が家の都合を言えば、息子がちょうど高校受験の時期に当たり、なおかつ私の仕事が高校教員であるため、息子と同じ仕事を、違った側面から行っています。

 そんなわけで我が家は受検に関しては、この数ヶ月臨戦態勢に入っていて、とても一周忌の準備をしている時間はありませんでした。

 結局様々なことを考慮して、一周忌はお墓参りにとどめました。要は故人を偲ぶ、という趣旨が生かされればいいのであって、何かの儀式を行うことが目的ではないという判断です。

 妻の実家の方にも連絡をして、そんな形で行うことを了解してもらいました。あっさりしすぎという方もいるかもしれませんが、妻への気持ちは誰にも負けていないつもりです。

 ちなみに我が家からお墓までは車で25分ぐらいなので、数ヶ月ごとに墓参りをしています。


一周忌前後の夢

 やはり、というか、何というか不思議ですが、一周忌数日前から妻の夢を頻繁に見るようになりました。自分では全く意識しているつもりはないのですが、潜在意識で一周忌という言葉がちらついているのかもしれません。

 内容は実はあまり覚えていません。これも不思議ですが、内容は覚えていないのに妻の夢を見た、ということは覚えています。

 起きた瞬間は、「ああ妻の夢だったんだ〜」と思い出すのですが、その瞬間に「あれ、どんな夢だったんだっけ?」と内容を忘れている自分に気がつきます。

 起きた瞬間にメモでもしておけばいいと思うのですが、メモすることも忘れています。かろうじて覚えているのは一緒に旅行に出かけようとしていたことぐらいです。

 夢を見たときは、やはり「本人の意識や魂が現世に多少なりとも影響を及ぼしている」のかなとか、「もしかしたら魂の状態で我が家の寝室に現れ、私と息子との生活状況を見ていったのかな」というような印象を持ちます。

 そうなると魂にとっても、一周忌というのは、あの世からこの世にちょっと顔を出せる時期なのかな、とも考えてしまいます。

 どうしてそんなことを感じるのかというと、一周忌が過ぎると、またしばらくほとんど妻の夢を見なくなるからです。その意味では、上に書いたことに反しますが、お坊さんを呼んで故人を偲ぶという儀式も意味のあることなのかもしれません。


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