転院完了

 6月18日(月)、入院10日目。大学病院への転院予定日だ。

 眠りが浅く、早朝4時ごろ目が醒める。これでは自分の体力が持たないと思うが、とても眠れそうにない。

 いったん職場に行き、早朝から勤務している上司に事情を説明して転院先の大学病院へ向かう。

 職場から車で15分ぐらいだ。紹介状は書いてもらえたが、受付を終えたわけではないし、入院が決まったわけでもない。しかしYの症状を見ていると、一刻を争うような予感がして、何が何でもこの日に転院させてくれるよう頼み込むつもりだった。

 到着したのは7時35分。駐車場はガラガラ。行き交う人もほとんどいない。だだっぴろい駐車場に車を停め、正面玄関と思われる場所に向かうが、関係者と思われる人が数名歩いているだけで、患者や家族が入る雰囲気ではない。

 車に戻り、確認のつもりで電話をしてみる。もちろん誰も応答せず、自動応答の冷たい返事が返ってきた。どうやら受付開始は8時30分らしい。焦りを感じつつ、一時間ほど車の中で朝食を食べながら過ごす。

 ラジオの時報を確認しながら8時半ジャストに電話。今度はつながった。ほっとする。

 「紹介状をもって受付に来てください」と言われ、車から飛び降り早足で受付に向かう。受付で紹介状を渡すと、近くのソファーを指さされ、そこでまたしばらく待つように指示される。

 「早くしてくれよ!」と心の中で叫びながら待っていると、今度はさらに「該当部署(血液腫瘍科の外来)受付に行ってください」と言われる。役所仕事のたらい回しのようにも感じたが、今は黙って従わざるを得ない。

 指定された受付に足早に向かう。再び待つように指示されたので、「いったいいつになったら進展があるんだ」と思いつつ、とりあえず紹介状を受け付けてもらえた事を、Yの妹さんに電話で連絡。

 再び椅子で待っていると、温厚そうな丸顔のH医師と、ちょっと若手だが誠実そうなN医師があらわれ、状況を聞きたいということで診察室へ。

 廊下を2人の後に従い進んでいくと、両側にいくつもの診察室が並び、それぞれの入り口に担当医師の名前が掲示されている。その中の一番奥まった診察室に案内された。

 中は普通の町医者の診察室と変わりがないが、机上にコンピューターが設置され、机の脇にプリンターがあるのが目新しい。

 2人を前にして、これまでの経緯を簡単に説明する。まとまりのつかない話だったが、要所要所で的確な質問をいくつかされた。

 「それでいったいどうなるのだろうか」と医師の答えを待っていると、やはり緊急性があると判断されたのか、その場で「それではすぐに個室を用意して治療を始めましょう」ということになった。

 二人ともひじょうに誠実な印象で、「ここに来て良かった」と治療が始まっていない段階で、ある種の安心感を持つことが出来た。

 すぐに入院中の病院に受け入れ可能であることを連絡し、転院手続きに入ってもらった。次は病室の引越しの準備だ。

 はやる気持ちを抑えながらいったん家に戻り、手荷物運搬用の大き目のバッグを用意し病院へ。妹さんも手伝いに来てくれた。身の回り品を詰め込み、あとは本人の移送だけとなった。

 Yはまた咳がぶり返していた。熱も上がりはじめ、病気の勢いの強さを感じた。ともかく一刻も早く転院させ、早期に治療を開始してもらうしかない。

 病院側の配慮でYは救急車で移送することになった。救急車には現在の主治医が付き添って、我々は荷物を持ち、一足先に大学病院に行きYを待つという段取りである。

 当日のことは今でも印象に残っている。6月にしては汗ばむほどの良い天気だった。妙にきれいな、抜けるような青空と、胸の中の暗雲が、くっきりと対比をなしていた。

 妹さんとともに大学病院の救急搬入口で待つこと30分。遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。「ああ、きっとあれだな」と思いつつ、「これで何とかなるだろうか」という期待と、「いややはり・・・」という不安が交錯する。

 救急車が滑り込むようにロータリーに侵入し、すぐにYがストレッチャーに乗せられ下ろされた。約束どおり主治医が付き添ってくれている。我々が近づくと、Yはニコッと微笑み、軽く手を振った。なにげない動作が、様々な感情を誘発し、思わず目頭が熱くなる。


トップぺージに戻る  第2章 転院と本格的な治療へ 病名と治療方針へ