ついに退院

 10月27日(土)、転院131日目。

 主治医から、これまでの経過と今後の予定、注意事項についてYも含めて、病室で説明が行われた。

 先ず今後の治療の予定から。「退院後は11月2日(金)、16日(金)にリツキサンを予定しています。その2週間後の28日、PET検査とCTを行い、治療効果の評価を行います」

 続いて経過説明。「入院時の状態は高カルシウム症で、検査の結果悪性リンパ腫の第W期でした。CT等の検査では骨、肝臓、脾臓、乳房、肺、骨髄に集積が見られました。その後半量のCHOPを一回、さらにCyclo BEAP療法を経て今日に至っています」

 「現状ですが、CTで診た限りでは肝臓、脾臓、骨髄の集積は小さくなりました。骨については現在検査結果を待っている状態です」

 「これらの部位に万が一リンパ腫細胞が残っていた場合は、抹消血幹細胞移植の治療法が考えられますが、副作用が強いため、その治療によってリンパ腫細胞が消える可能性が高い場合のみ実施したいと考えています」

 さらに、「現在腎臓は正常な状態に戻りました。肺機能が落ちているのは、入院当初の高カルシウムの影響が考えられます。要するに肺全体の伸縮状態が悪いということです」

 注意事項として、「1日単位で体調が変化する可能性があります。例えば病気ではないのに突然高熱になったり、意識がボーっとしたりするかもしれません。そのときはすぐに病院に連絡し、適切な指示を受けるようにしてください」

 また、「感染予防に留意し、野菜、果物は出来る限り新鮮なものを食べ、人ごみは避けるようにしてください。出かけるときは必ずマスクを着用してください。旅行等はしばらく様子を見たほうがよいと思います」

 最後にあまり聞きたくなかったが、「半分以上の患者さんが、残念ながら1年以内に再発していますので、充分注意してください」とのことであった。しかしこの病気に関しては、何を注意すべきかは、よく分からないのが現状だ。

 28日(日)、転院132日目。長かったが、ようやく待ち望んだ日がやってきた。病室の荷物を片付けるために、妹さんも手伝いに来てくれた。

 Yは飛び跳ねんばかりの様子だ。世話になった看護士さんや、まだ入院加療を続けている知り合いの患者さんたちに、Yがうれしそうに1人1人挨拶して回る。

 病室から大量の荷物と共にロビーへ降り、荷物は妹さんの車へ、Yは私の車に乗り込む。病院の玄関を出て空を見上げる。

 救急車で運ばれて入院したときも青空だったが、今日も快晴だ。しかし今日の青さは妙にまぶしい。Yにとっては5ヶ月ぶりの病院外だが、私にとってもなぜかいつもと違う青空に思える。

 ここまでの移動は車椅子を使った。治ったといっても、体力の低下は著しい。出口を出て、手で支えられながら車に乗る。足元が危なっかしい。目的地はYの実家だ。

 本来なら私の家に戻るべきだが、私は仕事で息子は学校があるため、昼間はY独りになってしまう。まだまだ突発的な症状の変化が考えられるし、また一人では手足のしびれのため、家事をほとんどこなせない状態なので、実家にお世話になることにした。

 Yの体に負担がかからないように、急発進、急ブレーキを極力避けるよう意識しながら運転。隣にYが座っているが、退院の実感がまだわいてこない。

 約40分で、実家到着。車を降りてなんとか自力で歩いていくものの、マンション入り口の階段で、たかだか20センチメートルの段差に足が上がらず立ち往生。

 病院内ではほとんど段差がなかったので、いつの間にか階段を登る筋力が失われていた。慌てて腕をとって介助。筋肉の衰えに愕然とする。

 介助されながらも、なんとか無事実家に到着。しかし退院はしたものの、相変わらず我が家は父子家庭状態だ。それでも私は病院に行く必要がなくなり、また実母に世話を任せておけるので、精神的な負担はかなり軽減した。

 朝起きて、今日のYの容態はどうだろうか、と思い煩う必要がほとんどなくなった。まずはめでたしめでたしである。


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