高血圧を意識するきっかけ

 喘息そしてアトピーで様々な経験をしましたが、同時に私は高血圧の薬も常時飲んでいます。高血圧を最初に意識したのは、20代半ばの学生時代です。

 たまたま父が心臓の病気で突然死亡となり、私は悲しむまもなく喪主となって葬儀の中心人物になってしまいました。しかしその頃私は東京で生活し、父は愛知県で生活していたため、葬儀の段取り等の打ち合わせで、東京名古屋間を1日に何回も往復していました。

 それでもなんとか葬儀も無事終了し、久しぶりに東京のアパートに戻り、これからどうなるのかなと考えながら寝た翌朝です。

 起きあがった瞬間、極度の眩暈を感じました。立ち上がった瞬間、体が斜めに倒れていきます。「なんだ、これは。いったいどうなっているんだ」と思いつつ、それまで眩暈とは無縁だったため、自分の症状がよく分からず、ただただ眩暈がおさまるのを柱に捕まって待っていました。

 しかしいっこうに収まりません。ようやくの思いで柱から手を離し、一歩ずつ進んでいきますが、狭い部屋の中をあっちこっちつかまりながらの移動です。

 「これはいかん。医者に行くしかない」と判断した私は、ふらふらする体をなんとか支えながら医者に行き、症状を伝えました。併せて葬儀等で過労状態だったことも説明しました。

 医者は血圧を測り、「ちょっと高めだね」といいながら、「過労でしょう。眠れる薬を出します」ということで、その場は一件落着。過労でふらふらになる、という表現は知っていましたが、本当に眩暈でふらふらになるんだなと実感しました。

 一方で「血圧が高い」という医者の言葉が脳にインプットされ、自分自身の血圧に対する意識喚起になりました。

 ちなみに薬を飲んで寝た日は、翌日の昼近くまで寝ていましたので、相当な過労だったのだと思います。

 さて、高血圧は年齢と共に上昇すると言いますが、私の場合は30代半ばからそのような傾向が出てきました。理由は年齢と言うよりどうやらストレスにあるようです。というのも、30代半ば以降、仕事が急に忙しくなり、特定のグループの中心的役割を果たすことになったからです。

 当初は私のような若い人間が勤める部署ではないと感じ固辞したのですが、他に適当な人が見あたらないという消極的理由で選ばれてしまいました。

 当然、分相応な肩書きが付き、責任も重くなりました。幸いなことに私の仕事を助けてくれる気の合う仲間がいたので、大きな失態もなく、なんとか無事職務をこなしていましたが、全体への気配りは相当な物でした。

 その結果だと思いますが、この時期アトピーも悪化し、血圧も上がり始めました

 最初の兆候は体の火照りです。なぜか人が寒いと言っている日にも体が熱く感じます。また肩が懲ります。もっとも肩こりは職業病みたいな物ですから、血圧だけが原因だとは思っていません。

 時折動悸がしたり、仕事中に大声を出していると息苦しくなったこともあります。しかし致命的な症状ではなく、初めは気にしていませんでした。

 ところが肩だけでなく、首筋が熱くなったり、顔が赤っぽくなってきたこともあり、さすがにちょっと変だと感じ内科を受診したところ、血圧が150/90と高めで、これは薬を飲んだ方がいいよ、という事になり、以来20年にわたり飲み続けています。

 150/90ぐらいで薬を飲む必要があるのかというのは、もしかしたら意見が分かれるのではと思いますが、当時は体の不調が気になっていたこともあり、医者の言葉を信じました。

 ただ、いったん飲み始めた薬は一生飲み続けなければいけない、という説明がないままに飲み始めたので、この点については若干当時の医者の対応に不満を持っています。



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