タイの歴史の始まり

 チェンマイの寺院について調べていたら、タイという国は北方の山岳部から始まって、その王朝の場所が徐々に南下。

 最後に今のバンコクに落ち着いたという記述を見て、「へえ〜、どうしてそんな流れになったんだろう?」と疑問を感じるようになり、タイの歴史について関心が芽生えました。

 というわけで最初はタイ政府観光庁のページを読んだりしていたのですが、日本と違ってタイの場合は周辺をいくつもの国が地続きで取り巻いている関係もあって、領土が常に変化。

 早い話が今の隣国ミャンマー、ラオス、カンボジアや、もう少し先のインド、中国、ベトナムといった国からの干渉もあったようで、まあ多難の歴史を経てきたということが分かりました。

 一方タイ国内に、緩い国のような政治体制が確立されたのは6世紀ぐらいの話で、その緩い共同体国家の名称が「ドヴァーラヴァティ王国」と呼ばれていたことを学習。

 ではその前はどんな状態だったのか、ということが気になったのですが、当然ながら国家というようなきっちりした体制はなかったものの、ウドーンターニーにバーンチェン遺跡というのが残っているようです。

 この遺跡はなんと紀元前3600年ぐらいから紀元後3世紀ぐらいまでの集落跡のようで、要するに紀元前からタイの北部にはすでに人が住んでいたということになります。

 ではその人たちはどこから移動してきたんだろうか、とさらに図書館から書籍を借りてきて読んでみたら、多くの書籍に中国南部やミャンマーから山を越えてやってきたと書かれていました。

 ちなみに私が調べた範囲では、今のバンコク付近の平野部に上陸した人が北方に移動したという記述は見つかりませんでした。

 「どうしてなのかな?」という気もするのですが、当時の気象条件が影響しているのかなという気もします。

 つまり今ですらバンコクは雨期になると道路が冠水しますから、昔だったら大洪水がしょっちゅう発生していて、人が生活できるような環境ではなかったのではと推測しています。

 一方、では中国南部やミャンマーから移動してきた人は、もともとどこから来たのか?ということも気になり調べてみると、なんと結局人類生誕の古代史にまで遡ることが分かりました。

 最近のDNAや細胞内のミトコンドリアに含まれるDNAの研究では、人類が発症したのはアフリカ東部のヴィクトリア湖近辺だったということが分かっているようです。

 ここで生まれた人類は、もともとは樹上で暮らすひ弱な存在でしたが、そこから地上に降りて歩き始めたことにより脳が発達。その結果知恵が生まれ人口増。

 当然ながら人口が増えれば食糧難に陥りますから、その後徐々に周囲に拡散ということのようです。というわけで、拡散する際は当然徒歩での移動が主になるはずで、当時の気象や地理的条件もあり、東に拡散した人類はアラビア半島を経由してインド方面へ。

 北に拡散した人類はヨーロッパ方面へ向かうことになりました。その際周囲の気象条件ににより、皮膚に含まれるメラニン色素の量が遺伝的に変化し、肌の色も変わっていったようです。

 で東に移動した人類は、やがてインドや中国方面に向かうわけですがその途中にヒマラヤ山脈があるため、そこを迂回せざるを得なかったようで、北に回り込んだ人類が中国に向かい、南を回り込んだ人類がインドを経由して東南アジアに向かったようです。

 ちなみに中国向かったグループはその後当時地続きだった日本にも上陸。またそこからさらに北に向かったグループはロシアからアラスカを経由してアメリカ大陸に拡散。

 東南アジアに向かったグループは、島続きにオーストラリアや南太平洋の島々に拡散したという流れになるようで、タイの歴史から、なんだか壮大な人類史にまで行きついてしまいました。

 というわけで、タイという国への人類の流れが多少理解でき、さらに北方から移動してくるには川の流れを利用したということもあり、改めてメコン川やチャオプラヤ川(メナム川)さらにミャンマーを流れるタンルウィン川の重要性が分かってきました。



バーンチェン遺跡


タイの歴史


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