タイ最古の寺院はどこなのか?

 タイの大まかな歴史が把握できたので、今度はその間に建立された寺院の建設年度に注目しています。つまり今まで単なる観光という名目であちこち見て回っていた寺院がいつの時代に作られたものかということが気になってきたわけです。

 以前は、単に「やけにキンキラキンだな」とか「先端があんなにとんがっていて落雷は大丈夫だろうか」とか「石積みのお寺で、崩れないんだろうか」といった、およそ本来の観光とは異なる部分の感想ばかり抱いていました。

 またその形にも「でかいな」「丸いな」「威厳は感じる」「これを仏塔と呼ぶのかな」なんて、まあ小学生のような感想しか抱かず、なんかもったいないことをしていたな改めて感じています。

 そう思って現存のタイの一番古い寺院はどこなんだろうかと思って調べてみると、ネット上では「ワットポー」と書かれたページが多い。

 しかし改めてガイドブックを見てみると、アユタヤ王朝時代に建立と書かれていますから、古いお寺であるということは分かりますが、最古の寺院というわけではなさそう。

 要は「現在のバンコク市街では最古」の寺院ということになるのかなと解釈しました。というわけでタイ最古の寺院はどこなのか?次の探索テーマです。

 そんな疑問を持つ中、旅行ガイドのマップルのページで、「寺院の様式別見どころというページを発見。これまで寺院内をウロウロしたとき、やたらいろんな建物があって、どこが本当に重要な建物か分からず、まあ「ご本尊がある場所が一番大事なところなんだろう」と判断していました。

 しかしこのページを見て、本堂、仏堂、仏塔、経蔵等の違いが少し理解できました。

 また建築様式も全体が丸く細長いトウモロコシのようなクメール様式スコータイ様式(特徴はハスの蕾のような尖塔?)、屋根に尖ったとげとげがいっぱい作られているランナー様式、アユタヤの遺跡でよく見かけるアユタヤ様式、そして近代の色彩豊かで芸術的なラッタナーコーシン様式というのがあることを理解。


 だいぶ頭の中が整理されました。こういった知識を蓄えたうえで寺院を見ると、また違った感想がいろいろ浮かぶのかもしれません。

 以上のような知識を蓄えながら、ガイドブック等で紹介されている有名寺院の建立年度をネットを使って調査。その結果を表計算ソフトに入力して並べています。

 その中で、これまで分かった範囲で一番古い寺院というか仏塔がナコンパトムの仏塔で、ドヴァーラヴァティ王国時代の4世紀に建設というもの。

 既に前々ページでまとめていますが、最初に作られた仏塔はなくなっているようで、今は再建されたものが残っているそうです。

 次に調べた範囲で古かったのが、スコータイ王朝時代に建てられた「ワット・シー・サワイ」というお寺。12世紀から13世紀にクメール人によって建てられたと書かれていて、その遺跡はトウモロコシ型。

 ヒンズー教の影響が大きいようで、スコータイにある他の寺院とは建築様式がかなり異なっているようです。

 ちなみにスコータイ近辺には有名寺院がやたら多いことも判明。ネットで検索していくと旅行記も多数。その意味では、一度腰を据えて訪問する価値があるなと思え今後の課題となりました。

 次に古かったのがチェンマイにある「ワットチェンマン」みたいで、建立年度が1296年。かつてはメンラーイ王の宮殿だったそうです。

 大理石の仏像と水晶の仏像があるそうで、基部を15頭の象に支えられた仏塔も見応えがあるとのこと。(タイ政府観光庁のページより)

 実際観光庁のページに添付されている画像を見るとかなり大きな寺院みたいで、チェンマイに行ったらまず最初にこの寺院に行ってみたいなと思いました。

 一方タイの寺院の建立年度をまとめながら図書館から中公新書の「物語 タイの歴史」という本を読破。著者は東京外語大の柿崎一郎さんという方。

 生まれを見たら、私より年下の方でした。内容はタイ族の起源から始まって現在までをわかりやすく説明してくれています。この本を読んで、これまでネットで少しずつ知識を増やしていたタイという国の歴史が改めて良く分かるようになりました。



 この本を読んで、タイ民族と呼ばれる人たちは、やはり周りの国から少しずつ北部の山を越えて集まってきたということが分かりました。

 さらに読み進めた途中で、やはり今はバンコクとなっている地域が、昔はチャオプラヤ川の氾濫等で定住生活が困難な地域だったことが分かりました。

 なんだか私自身が描いていたイメージとよく重なっています。当初はあちこちの山間で暮らしていた人たちが、やがて手を結ぶようになり、そういった緩い共同体が大きなグループとなる。

 そしてある時、たぐいまれなリーダーシップを持っている人が現れると、そういったグループをまとめるようになり、それがのちの世に王国と呼ばれるようになったみたいですね。

 当然当初の王国は単なる人々の集合体でしかなかったはずですが、それがある程度組織立ってくると、徐々に周辺に勢力を伸ばし、ある種の契約関係ができることにより、より大きな国となっていくということですね。

 初期のドヴァラーバティーという集合体はそういった小さな国の集まりだったようです。しかしそういった集合体は現在のタイという国を取り巻くミャンマー(ビルマ)、ラオス、カンボジアでも似たような発展を遂げるわけで、そういった集合体同士が勢力を争って紛争が起きるということになります。

 そこへもってきて、世継ぎや統治に関する考え方の違いで、なん百年も続いた集合体であっても、やがて衰退。その衰退の波が来るたびに周辺の国からの侵略を受け、それをまた跳ね返したりということが続きます。

 その大きな流れがスコタイ王朝やアユタヤ王朝、さらにトンブリーから今のバンコクになったということのようで、改めてタイ国王に対する国民の敬愛精神がなぜ生まれたのかということも良く分かりました。

 日本の場合は周辺を海に囲まれ、他国からの侵略ルートは限られていますが、タイの場合は周り中の国及び、ヨーロッパ各国との様々ないきさつがあったようです。

 そういった流れの中を生き抜いてきたことにより、タイ独特の微笑みの国が生まれたのかなという気もします。つまり様々な価値観を持った周辺各国と、いかにわだかまりなく付き合っていくかという方法を模索した結果、微笑みでもてなすという習慣ができたということです。(私の勝手な憶測です)



壮大な歴史の流れ


タイの歴史


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