人類発祥の地はどこ?

 チェンマイのことを調べていたら、旧市街内の寺院巡りが面白そうだなと思うようになり、寺院について調べていたら、今度はタイの歴史に興味を感じるようになりました。

 なんでそんなことに関心を持ったのだろうか?と自分でも不思議に思うのですが、まあ知識欲というのが今でもあるみたいです。

 てなわけで、今度はタイの王朝の流れについてネットの情報や図書館から書籍を借りてきて、大まかな流れを把握。その結果分かったことの一つは、現在のバンコクは比較的歴史が浅い都市であるということ。

 これまで単に有名だからと思って観光をしていたアユタヤ王朝は、かなり大きな王朝だったんだと改めて認識。さらにさかのぼって、タイの始まりは北部のドヴァラーヴァティ王朝あたりから始まっていることも分かりました。

 しかしこの王朝は多数の小さな都市国家の集合体であるとも書かれていて、であるならその都市国家を形成した人達はいったいどこから来たのかということも気になってきました。

 すると基本的には、タイの北側は山に囲まれていて、その山を越えて中国南部やミャンマー(旧ビルマ)あたりから川沿いに人が流れこみ定住したということも把握。

 なるほどすごい歴史の流れだなと思いましたが、さらに1歩前進して、ではそういった中国南部の人やビルマの人たちはどこから来たのかということまで考え始めたら、ついに人類発祥はどこから?という疑問も生まれ、なんだか大変なことに。

 あらためて4大文明なんて言う語句や猿人、原人とか、オウストラロピテクスやネアンデルタール人、クロマニヨン人とか、昔学校で習った知識を総動員しながら、図書館で人類発祥の流れみたいな本を借りてきて読書中。

 ちなみにこのぐらいの歴史になると、単位は万年前ということになり、明治維新(1868年)から約150年という現在の日本の歴史は実に取るに足らないちっぽけな時間単位なんだなということもよく分かりました。

 一方様々な世界史や人類発祥の書籍を見て分かったのは
、中国南部やミャンマーにいた人は、はるばるアフリカ方面からインド北方のヒマラヤ山脈の北側ルートと南側ルートを横断してきた人がいるみたい。

 というようなことまで分かってきましたが、さらにたまたま我が家の本棚を見ていたら、息子が高校時代に使っていた世界史の教科書と資料集みたいなものを発見。

 同じようなものを私も高校時代使っていた気もするのですが、資料集はページを開いた記憶が全くありません。


 というわけで改めて見てみたら結構面白い。紀元ゼロ年ぐらいから100年ごとに世界の移り変わりの地図が掲載されていますが、東アジアは中国の国盗り物語がすごい。

 それに比べると日本は朝鮮や中国からの侵略を何回か受けているようですが、やはり日本海の存在が大きく、大事に至ることなく、現在に至っているという違いが良く分かりました。

 一方タイという国はマレー半島の付け根の東側に位置していたので、西の方から拡散してきた人類には、位置的に見つけにくい要素があったのかなと感じました。

 つまりタイの国への移動経路は、中国やビルマからの移動しかなかったということになりそうです。というわけで、とりあえずここまででタイの歴史についての探索は一段落。

 しかし一連の知識が新たに増えて、タイに対する見方も少し変わったような気もします。
 



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タイの歴史


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