シーウイ博物館

 時刻はちょうど12時。昼食の時間だ。車に乗り込み向かった先はフワランポーン駅前近くにある「バンコク・センターホテル」。

 どこかの中華のレストランに行くとばっかり思っていたので、ちょっとショック。まあそれでも飲茶食べ放題の文字が無くなったわけではないし、ホテルのレストランだからそれなりにうまいだろうとこの時点では考えていた。

 車を降りてホテルに入り右に進むと目指すブッフェレストランがあった。飲み物は自腹であとは好きなだけ食べてよいみたいな説明を受けて、一同トレイを持っておかずコーナーに進む。おかずはたしかに15種類ぐらいあって、見た目はそこそこおいしそうだ。

 しかし実際に食べてみると、味付けがどれもいまいち。結局腹8分目はおろか、5分目ぐらいの状態で食事を諦め、あとはホテルロビー近辺をうろうろして時間をつぶす。

 そうこうするうちに時刻は1時。気持ちを入れ替え、法医学博物館(シーウイ博物館)に向かって出発。車はチャオプラヤー川の船着場に到着し、渡し船で対岸へ。

チャオプラヤ川の渡し船

 ほんの少しだけクルーズを楽しむ。流れているのかどうかすら判然としない茶色に濁った川だが、交通量だけはやたら多い。特に上り下りの船と、川を横切る船とが交差する領域は結構スリルがある。

 ワンランという船着場で下船。ここからは徒歩だ。個人で来てもここから歩くことになると思うのだが、博物館までの細かい地図はガイドブックには載っていないので、探すのに相当苦労すると思う。

 というのも距離的には500mぐらいだろうが、道がかなり複雑に入り組んでいるし、案内板も特に見当たらなかったからだ。(後日案内の矢印が何カ所かあることを確認しました)

 車道だか歩道だか分からない道を、一同一列になって歩く。2車線の道なのに、両側に車が駐車しているので、実質車が行き来するのは1車線の広さしかない。その脇を人間が走ってくる車を避けながら歩いていく。

 ようやくの思いで到着した建物は、何の変哲も無いごく普通の病院に見える。中に入り右手の階段を登ると受け付けが見えてくる。エアコンが効いていて、汗が引いてくるが、それとは別に何やら重苦しい雰囲気も漂ってくる。

 


 ガイドブックには好き嫌いがはっきり分かれると書いてあるが、ここは好き嫌いで論じられる場所ではない。生命の尊厳が問われるところだと感じていた。解剖された標本と言うか献体が多数あるとの事なので、きちんと見つめなければいけないと心に決めていた。

 受付での手続きが済み、いよいよ中へ。ここから先は写真撮影禁止だそうなので、どんな標本があったのかメモをとることにした。

 入った正面で出迎えてくれたのが胎児の断面であった。すっぱりと切られた体から内臓の配置がはっきり見える。どのようないわくでここで標本になってしまったのかは分からないが、いきなりなので衝撃的だ。

 続いて脳や肺、肝臓、寄生虫等の標本が並ぶ。それぞれなんらかの病理があって標本になったものだろう。説明文は英語なのだが、如何せん医学的な専門用語が多く、解読が難しい。

 もっとも衝撃的だったのは、やはり双生児だろう。私がまだ小学生ぐらいだった頃、よくシャム双生児という言葉を聞いたが、シャムと言うのはタイの以前の国名で、今はそれがサイアムという街の名前で残っていると、昨日のツアーで教えてもらった。

 双生児になった理由はさっぱり見当がつかないが、近年ベトナム戦争の枯葉剤の影響で多数の奇形が表れた(因果関係はきちんと証明されていないのかもしれないが)ということは知っているので、やはりなんらかの薬剤の影響かなと考える。

 それはそれとして、双生児の体をスパッと縦に切り、そのまま広げてあるので、どの部位が癒着しているのかとか、どの内臓が共有されているのかということがはっきり分かる。

 悲惨と言う言葉ではとてもいい表せない。人間とは何か、生命とは何かということをあらためて思い起こさせる瞬間だ。

 順に見ていくと奇形は双生児だけではなかった。水頭症、無脳症、無眼症ではないかと思われる標本がある。お腹から直接別の胎児が生えていると思えるような標本もあった。これらの標本のほとんどが生まれて間もない胎児なので心が痛む。

 妊娠後の胎児の標本もあり、妊娠3ヶ月で約5cmぐらいの大きさだ。中絶できるか出来ないかの限界だったかと記憶しているが、おなかの中ではすでに人間の格好をしているのだ。

 やはり写真とは違う迫力と説得力がある。私は基本的に無宗教なのだが、このときは標本になってくれた胎児に心の中で合掌した。

 ここではガイドさんの説明はまったく無く、我々を自由に見学させてくれた。じっくりと見ていたため、いつの間にか一行から遅れてしまった。

 どうやらもう1部屋、見学箇所があるらしい。ガイドさんに促され移動する。次の部屋では、先ず生々しい写真に迎えられた。人体に対する切り傷、刺し傷、電車事故、自動車事故の写真である。

 さらに爆発や銃創の写真と続く。それが終わると様々な毒や凶器、弾丸が陳列され、昔の出産風景の模型もあった。ここまで来てようやくほっと一息、呼吸が楽になってきた。

 最後に大地震の際の津波のビデオを上映していた。英語の解説なのでまたしてもヒヤリングの勉強になったが、映像がはっきりしているので、半分ぐらいはなんとか分かる。

 津波は悲惨だということは当然分かっていたが、ここで初めて知った事がいくつかあった。一つは切り傷の中に津波の影響で海水や泥、砂が入り込んでしまい、雑菌が繁殖し腐ってしまうと言うこと。

 被害者の特定がひじょうに難しかったと言うこと。DNA鑑定は有効な手段だが、判別までに時間がかかり、その間に遺体が損傷、腐敗してしまうようだ。

 そのため、一人一人の体の特徴、歯型、指輪、刺青等を念入りに調べ、手がかりにしたとのことだった。また緊急医療体制をどのように作り上げるかということも大きな問題だったらしい。

 映画を見終わり出口に向かう。いろいろな思いを胸に抱きつつ、再び現実世界の炎天下を桟橋に向かった。やけに太陽がまぶしく感じられた。生きている実感だ。船で対岸に渡り、予定通り3時半に伊勢丹着、解散となった。



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