タイに関する歴史の本や読者の方からの的確なアドバイスを頂いて、最初にタイの国を作り始めた人たちは、どうやら北の中国やミャンマー、ラオスという国から山を越えてやってきたのではと思えるようになりました。
その際、その道しるべになったのは川若しくは川に沿った山道ではないかと思え、だとすれば今現在バンコクを流れているチャオプラヤ川の源流はどこに行きつくのかと疑問に感じ調べ始めました。
調べる方法としてはグーグルマップが便利そう。バンコクの地図を表示。市街西側を流れているチャオプラヤ川を見て、上流方向に移動。
すると最初に見えてきたのが、私もかつて一度だけチャオプラヤエクスプレスで行ったことがあるノンタブリーの町。最近は新しいMRTも開通し、行きやすくなりました。
そこからどんどん北上すると、次がクレット島。さらに北上するとアユタヤ。改めてアユタヤの地図を見ると、この一帯は見事に川に囲まれていますね。今頃になってオプショナルツアーでアユタヤに行った時のガイドさんの説明を思い出しました。
ちなみにアユタヤの上流は、いくつかの川が合流しているようで、その中で本流と思われる流れを北北西方向へ。しかし川の蛇行がすさまじい。
蛇がのたくるような流れが良く分かります。やがてタイのほぼ中央ぐらいにあるナコーンサワンという街に到着。その先から川の名前がピン川に変更。この川がチェンマイ市街東側を流れていることになります。
もう一つ、ナーン川というのもあって、この川の上流にはピッサヌロークという街があり、その先はラオスになるようです。
ナコーンサワンですが、ちょっと前に調べたドヴァーラヴァディ王国時代からの歴史がある街のようです。街の東にはボーラペット湖と呼ばれる大きな湖があり、タイ最大の沼地と書かれています。(ウィキペディアより)
様々な生物や植物が生息しているようで、チャオプラヤ川をクルージング中に見かける大量のホテイアオイも、この辺りからはるばる流れてくる可能性もありそうです。(私の憶測です)
ともあれ、このナコーンサワンで、上流からのピン川とナーン川が合流するため、ある意味交通の要所となりえたようで、ドヴァーラヴァーティ王朝以降のスコータイ王朝、アユタヤ王朝時代にも物流の中心地となっていたようです。
というわけで再びピン川の上流を辿っていくと、川はうねうねと蛇行して、最初にたどり着いた場所がカムペーンペットという街。ウィキペディアで街の情報を調べるとスコータイ王国の時代の軍事要所だったと書かれています。
すぐ近くに歴史公園というのがあるそうで、ユネスコの世界遺産にも指定されているとか。
市街には国立博物館もあるようで、行ってみたいなという気もしますが、ナコーンサワンから100kmぐらい離れているようで、交通手段の確保が大変そう。
ということを確認して、さらに、ピン川を北上。するとタークという街で大きな十字路に遭遇。右折するとスコータイを通りコーンケーンへ、左折すると山越えをしてミャンマー。
このあたりから東西に山が現れます。逆に言えば、この辺りがバンコクの平野を構成する北端?周囲には国立公園がいくつもあります。
さらにタークという街を過ぎ、川に沿って遡行。50kmぐらい離れた場所には大きな湖みたいな場所があります。この辺りはすでに山の中のようで、タークという街から川と共に北上していた道が一時的に川の東側に大きく離れています。周辺にはメーピン国立公園と書かれています。
そこからさらに北へ100kmぐらい?でオーブルアン国立公園。そしていつしかチェンマイ近くの高原のような場所に出てラムプーンを経てチェンマイの東にたどり着きます。
ではチェンマイの先はどうなるのか?しばらく進むと川は東と北の二方向に分かれ、東には大きな「メーガットソム・ブーンチョンダム」と呼ばれるダムがあり、こちら側がピン川と書かれていました。
試しに名前が書かれていない方の北北西向きの川をどんどん遡ると、ミャンマーにたどり着きました。次にダムを通過すると、このダムにはあちこちから川が流れ込んでいるようで、いつの間にかピン川という名称そのものがなくなっています。
しょうがないので一番東側の、多少水量があると思われる川を遡ると、その先は毛細血管のように川自体が広がっていき、どこが本流なのかさっぱり不明。
ただその先にはチェンライという大きな町があり、この町の近くにはコック川という大きな川が流れていることも分かりました。さらにこのコック川はタチレクという街を経由してメコン川に流れ込んでいます。
というわけで、分かったこと。タイという国の北方はチャオプラヤ川やメコン川の支流が複雑に流れていて、これらの川を利用することによって人の移動が可能だったかもしれないなということです。