ボランテイア活動(3)

交流会

 新宿の厚生年金会館の1室で、障害を持った人たちの交流会が開かれていました。脊髄損傷なる言葉を聞いたのもこの場所です。

 他にも小児麻痺や脳性小児麻痺、病名がまったくわからない人もいました。しかしながらここに集まってくる人たちは総じて明るい性格の人が多くびっくりさせられました。

 移動の手段はほとんどが自家用車でしたが、中には我々のように、介助者と共に電車を乗り継いでくる人たちもいました。

 このような人たちの努力が少しずつ実って、今現在歩道にはスロープがつけられ、駅には障害者用のエレベーターが設置されたのだと思っています。

 交流会の中身は歌を歌ったり、自分の体験談を披露したり、みんなでダンス?をしたりでした。正直なところ、初めの内は嫌な気分がありました。

 彼らの動作が、健常者から見ると常識を越える部分があったからです。体をくねくね動かし、支離滅裂の言語を発し、叫び立てる人がいます。慣れてくるとそれが喜びの表現だとわかるのですが、それが分かるまでは、気持ち悪い、と思えてしまうのです。


挑戦

 交流会にも煩雑に顔を出し、Mさんとも屈託無く話せるようになって、彼の考えが少しずつ分かってきました。

 ともかく、車椅子の人が普通の人と同様に町中を出歩けるような町作りをするために、ある意味では目立つことが大事だ、と言うことのようです。

 そんなわけで彼を支える介助者は、ことあるごとに喫茶店で彼を交えて、どこに行こうか、どうしたらみんなが車椅子に違和感を覚えないような社会にすることができるかを真剣に話し合いました。

 鎌倉に行ったこともあります。新宿の高層ビル群に行ったこともあします。しかし私にとっても彼にとっても印象的だったのは、高尾山に登ったときの事だと思います。それもケーブルカーを使わずにです。

 我々一行(Mさんと介助者3人)は、登山口から車椅子にロープを結び、一人は後ろから、二人は前から、という形で車椅子を引っ張っていきました。いまだに記憶に残っている所を見ると、相当苦労したのだと思います。しかし頂上はひたすら爽快でした。


車椅子の介助

 通常の道を進むとき、乗り手に腕力があれば、普通は数cmの段差なら乗り越えられます。10cm以上あっても、勢いをつける筋力があれば、これも乗り越えられます。

 しかし筋ジスの患者さんの場合、全身の筋肉が衰えるので、自分で車椅子を進めることすら難しくなります。

 通常の段差の場合は、後輪の後ろにあるバーを足で踏み前輪を持ち上げます。前輪を段差の上部にのせ、そのまま車椅子を進め、段差に沿って後輪を持ち上げていきます。

 最後に持ち上げるところで腕力を必要とします。段差が大きい場合は、3人ぐらいで後輪を持ち上げないと、乗り越えることが出来ません。

 階段は最低3人が必要です。前の両側に二人、後ろに一人。当然後ろの一人に大きな力が加わります。

 介助者が多数いる場合は4人で持ち上げるとバランスが良いようです。後ろの介助を何回かやったことがありますが、数回の上りで腕はほとんど使いものにならなくなります。

 階段の下りは、これは以外に楽だ。前輪を持ち上げ、後輪を階段に沿って一段一段降ろしていく。もっとも階段の下にたどり着く頃は、やはり腕に力が入らなくなっている。

 特筆すべきは、車椅子に乗っている本人の心境です。本人には車椅子が階段の途中でこけても、体を守る術がまったくありません。

 一度私自身車椅子に乗って、階段を登ってもらったことがありますが、まさに命を預ける印象で、二度とやる気になれませんでした。

)


車椅子とトイレ


小話のページ戻る


表紙に戻る