授業

 SHRが終わり、授業に行くまで数分のゆとり?があります。この間に授業で使うものを準備します。教務手帳(出席や成績を記録する、昔は閻魔帳と呼ばれたもの)、教科書、授業ノート、問題集、参考図書、プリント、場合によっては実験のための小道具等。これらを持って、それこそ「どっこいしょ」と椅子から立ち上がります。結構気合が必要です。

教材研究

 学校で教育実習をしたことがある人は知っていますが、1時間の授業を行うためには教案を作る必要があります。教案とは1時間の授業の流れを考えたもので、1時間(正確には50分)の授業を三つのブロックに分けます。1つ目が導入、続いて展開、最後にまとめ。これらの流れを作るに当たって、さらにその時間何を教えるか、という授業の目的や、これまで行ってきた授業の進度の中で当該授業がどの辺に位置付けられているのかを考えておかなければなりません。

 1時間の授業を構成するために、その授業内容を研究するのが教材研究と言われているものです。初めて教える内容の場合は、当然長時間の勉強が必要です。教員になりたての頃はこれが本当に大変でした。1時間の授業のために3時間ぐらいの勉強が必要なこともありました。

 しかし始めに苦労すると2年目からの授業はうんと楽になります。大幅な変更にならない限り、教え方の骨格が決まるからです。逆にその場しのぎの教案を作ると、翌年も苦労しなくてなりません。(もっとも近年教育課程の変更と共に科目の内容が変わったり、使う教科書によって教材の配列や中身が違うことがあるので、単純に年を経れば楽になる、というものでもないのですが)

 理科の場合はもう少し事情が複雑です。私は物理が専門ですが、必ずしも物理だけを教えるわけには行かないのが現状です。理科には全部で4つの科目(物理、化学、生物、地学)がありますが、これまですべての科目を教えています。専門の物理の授業内容は多少なりとも専門知識のバックアップがあるので教案作りも楽です。苦手なのは生物。教科書を一から読んで、参考事項を調べ、授業の流れを考えと、本当に大変です。

導入

 高校の授業と落語とは明らかに違うのですが、話の最初に如何に聴衆(生徒)を引きつけるか、という話術はともに共通のものです。決定的な違いは、落語や漫才は面白ければある程度許されますが(それとて相当の修行が必要ですが)、授業はその後話す内容について、興味や関心を喚起させなければならない。しかも内容が知識や教養といったある意味での学問ですから、導入にはかなり神経を使います。

 結局実際の授業でどうしているかというと、1.委細構わず始めてしまう。2.授業とはまったく関係しない話をする。3.内容に合った具定例を挙げる。4.教材に合わせて自分の体験や経験を披露する。5.とりあえず前回の復習を簡単に行う等ですが、一番効果があるのはやはり4に上げた体験談です。これを読んでいる人も昔を振り返ると分かると思いますが、授業内容は忘れても、教員が授業以外で語った内容は意外に覚えているものです。

 さて具体的に述べます。

1.委細構わず始める

 これは挨拶の後、では教科書○○ページを開いて、と指示してどんどん進む方法です。個人的にはあまりやりたくないのですが、教員にとっては最も楽な方法です。しかし毎時間毎時間いろいろな教科を教えられている生徒にとっては、結構辛いと思います。英語の次に数学があって、いきなり、それでは○○ページの問題を解いてみよう、では間違いなく数学嫌いになります。ただしその科目が好きな生徒にとっては、余計な話はしてもらいたくないものなので、この辺のさじ加減は難しいです。

2.授業とはまったく関係のない話をする

 落語の枕みたいな扱いですが、効果はかなりあります。ただ毎回毎回そうそう題材があるとは思えません。私もたまにこの方法を使いますが、天気の話(雨が続いて嫌だねえ等)、進路の話(結構生徒は真剣に聞いてくれる)、朝見た新聞の中の面白い話(生徒にとって面白いものであって、教員のみが面白くても駄目)、私自身のプライベートな話題(家族とか旅行の話が主になるが、私はあまり好きではない。好んでする教員もいる)等です。

3.内容に沿った具体例

 これが一番教育的なのだと思います。だが堅苦しくなることが多いので、あらかじめかなり下準備が必要です。理科の場合はいろいろな法則の話題が出るので、その法則を発見した人のエピソードを紹介したり、物理の場合はいきなりちょっとした実験をやることもあります。

4.教材に沿った自分の体験談

 当然ながらすべてを体験しているわけではないので話題は限られます。他のページにも書きましたが感電や落雷の話は生徒ものってきます。日常生活で頻々とお目にかかる事象、速さや加速度、遠心力等は、話術さえしっかりしていれば、多くの生徒が興味を示します。

5.前回の復習

 簡単な練習問題を行ったり、そこまでの経過を図で簡単に説明したりします。

 実際にはこれらの内容を複合的に混ぜ合わせます。理想的には内容に沿った自分の体験談を披露して、何故そうなったのか、という疑問を喚起。続いて前回の復習を簡単に行い、従ってどうなるのだろうか、という風に論理を展開するのが良いと思います。

 しかしそのような授業を展開できる機会はほとんどない。やはり日常の忙しさに追いまくられるか、暇なときは暇なときで怠惰な時間を自分に許してしまうからです。

展開

 授業を展開する時間はおよそ40分。教育実習で教えられたことは、教えるテーマは1時間の授業で1つだけ、それ以上は教えるな、ということを強く言われました。実際30年以上教員をやってきて、その主張は正しいと確信します。

 しかしテーマは一つだけと言われても、教員になりたての頃は何が一つなのかよくわかりません。展開という作業は、教えるべきことを膨らませ、ありとあらゆる手練手管を使って、生徒に様々な角度からの教材の見方を教える作業ではないかと考えています。

 結局授業というものは、一つの流れであり、その流れの中で何がメインテーマになるのか教員側が把握していないと、単にだらだら流れるだけで終わってしまいます。

 例えば私の専門は物理ですが、教科書の一番最初には速さの定義が出てきます。速さの定義は単位時間当たりの移動距離で表され、単位は時速なら(km/h)秒速なら(m/s)であらわされる、と伝えてしまえば、はっきり言ってその時間の授業は終わりです。後は、それじゃ公式を覚えて練習問題を解いてみよう、ということになります。

 問題はそれでいいのか、それで生徒はわかったと納得してくれるのかどうかです。30数年教員をやってきて、最近の生徒は読んで理解する力が日に日に衰えているような気がします。そのような子供たちに「速さ」=「移動距離」/「時間」と教えるだけでよいのか、非常に気になっています。ここは一つ原点に戻って、何故速さというものを考えなくてはならないのか、というところから問い直すのはどうでしょうか。

 その次に、速さを数値で表す、または物体の動きの激しさを数値で表す方法を考えます。目の前を何かが横切った。この動きを正しく数値で伝えるためにはどのような計算をすればよいか、その計算のためにはどんな要素が必要か、と考えていくと授業はどんどん膨らんでいきます。

 これこそまさに展開なのですが、これをずーっと続けていくと、一つのことを教えるためにかなりの時間が必要になります。ところが現行の教育課程では、それは許されません。受験に必要だったりすると、あまり進度が遅いと生徒からも親からも苦情が出ます。兼ね合いの難しいところです。

まとめ

 まとめは展開に比べるとかなり簡単です。要するにその時間に教員が一番言いたかったことを手際よくまとめ、生徒に伝える事だからです。場合によっては練習問題で確認することもあるし、全体の流れを再度確認する場合もあります。いずれにしても、生徒側がその日に教えられたことを頭の中で容易に再現出来るように仕向ける作業だといういうことです。

   
  

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