授業方法の改善の模索

 外的な活動力には乏しいかもしれないけど、内向きなパワーを秘めているかもしれない現在の若者の個性をどのように生かすのか、これは文科省あたりの頭の良い方達に是非考えてもらい課題だと思います。

 昨日はチョークと黒板の話しを書きました。このチョークと黒板という方式は、教員が持っている知識を能率良くまとめて、知識を得ようと待っている生徒達にうまく理解させる方法として、いささか時代遅れの感はありますが、現状ではこれに勝るものはない、と思っています。

 一方で欧米の映画で学校の場面が出てきたとき、思わず私はその授業方法に注目してしまうのですが、黒板を使って説明するような授業は、映画として恰好悪いのかもしれませんが、あまり見かけません。

 たいていが、教師が黒板前で生徒に問いかけ指名して答えさせる。または教師が問を投げかけ、挙手を待つ等の方法です。問いかけの内容も、たいていは「これについてどう思う?」とか「なんでこんなことが起きた?」という問が多く、日本のように覚えている言葉を復唱させるような問いかけは少ないように思います。

 私も時々授業中に、このような問いかけを行うことがありますが、返答を得られることは滅多にありません。指名しても、考えもしないで「分かりません」と答える生徒が続出。しかしこういった授業では、大脳の記憶領域は活動しても、思考領域は刺激できません。受け身の若者が増えて当たり前、ということかもしれません。

 指示されたことはやるけれども、それ以上のことはやろうとしない、というのは、いつの時代でも、ある程度年をとった大人から若者を見たときの共通認識かもしれません。

 実際に職場で受け身の若者が増えているのかどうかと言う客観的な数字はないので、あくまでこれは40代50代の大人の主観でしかないのかもしれません。

 しかし現実に、本来なら楽しいはずの理科の実験をやっても、子供達が意識することは、実験が成功したかどうかということだけで、その過程を楽しんだり、もしこうやったらどうなる?という疑問や、なぜこのような結果が出るのだろうか、と深く考え込む生徒は減ったように思います。

 実験を行い、その法則の名前を覚え、結果を覚えてさえいれば、試験の点数は上がります。しかし私も時々意地悪をして、失敗する原因はどこにあるか、なんていう記述問題を出すことがありますが、ほとんどの生徒は、自分の考えを書きあらわすと言うことが出来ず、問題自体に手をつけてもらえません。(そもそも普段から考える習慣が付いていないのではと思われます)

 「今日の社会で必要な人材は」と問われて、人事担当者が「自分の頭で考えて行動できる人」みたいなことをよく言っていますが、現状ではなかなかそのような人材が育つ教育が行われていないように思えます。

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