クックの死亡

クックの死亡
 ハワイに住む人々は、クックの訪問を当初は神の訪問と崇めていたようですが、1779年にクックは、ハワイの人たちが大事にしている宗教関係の物品を勝手に持ち出しました。

 土産にしようという軽い気持ちだったのかもしれませんし、文明人としての奢りだったのかもしれませんが、その行為はハワイの人たちの感情を不愉快にさせたようです。

 しかも一度出航した船が、嵐に遭い再び戻ってきたことによって、クックは神ではないという認識がハワイの人たちに明らかになり、遂にハワイ人とクックとの間で争いが起こります。

 この争いにより、結局クックは死亡。他の生き残った船員達は何とか本国へ逃げ帰りました。


カメハメハ大王とハワイの民主化について

 クックがハワイに来た頃は、各島を族長が統治していました。しかしカメハメハが誕生し、クックがいなくなった1790年にハワイ島を統一。さらに1795年にハワイを統一し大王となりました。

 全く関係のない話で恐縮ですが、私の世代の人たちは知っていると思いますが、その昔NHKで「ひょっこりひょうたん島」という人形劇みたいな番組があって、ここのテーマソングの中に「南の国の大王は、その名もなんとかカメハメハ〜」というような歌詞があって、その頃から親しみを感じている名前です。

 しかし当時はその名前がハワイの大王の名前であったとは全く知らず、ハワイに行き始めてからあらためて関連を知りました。

 また漫画の「ドラゴンボール」では「カメハメ波」というエネルギーボールを使っていますね。もちろんダジャレですが、なんとなく強い波動の響きを感じます。

 さて、そんな話しはさておき、このカメハメハ大王は1819年に他界。その後を長男の「リホリホ」が継承しますが、どうやらこの2世はどこかの国の政治家と同じようにあまり頼りにならなかったようです。

 一方、この時期にリホリホさんの妻とリホリホさんを支える立場のカアフマヌは、古来からの「カプ」という禁令制度を廃止したとあります。

 しかし、この廃止の影響はひじょうに大きく、古代からの神殿が破壊され、宗教的儀式も中止。階層構造が無くなり、秩序や規範が崩壊。ハワイは混乱状態に陥ったようです。(ウィキペディアより)
 
 とはいえ、この後はさまざまな国からの訪問があり、ハワイは欧米化と民主化の波にもまれます。当然この間に長い間受け継がれていた古来からの儀式や言葉が衰退していきます。



カラカウア王


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