Yと私のストレス

 9月10日(水)、再々入院17日目。

 Y自身が元気なことや、我々家族が日々の生活に慣れてきたこともあって、病院へ行く回数が1週間に2〜3回に減った。

 一方、Y自身にも入院患者の中に知り合いが増え、我々が常にその症状を心配し、やきもきするような状況がなくなりつつある。

 しかし血液検査結果は白血球が290、血小板81、好中球10と、骨髄抑制がはっきり表れている。熱が出ないのが不思議だ。このまますべての血球がなくなってしまうのではないかという不安さえ覚える。

 13日(土)。白血球が少ないので、継続して毎日のようにノイトロジンが処方されている。CRPは3前後で持ちこたえているが、好中球20、リンパ球270で回復が遅い。

 治療が一段落し、次のクールが始まるわずかの期間は外泊のチャンスだ。それが当面の目標になる。

 16日(火)。楽しみに待っていた外泊が、血小板不足で1週間延期になってしまった。Yも落胆したのだと思う。次の外泊予定の23日は、病院まで迎えに行き、その後食事をして、すぐに実家に帰りたいというメールが来た。

 「1泊程度なら、たまには我が家に来て泊まったらどうか」と伝えたが、折角の外泊の機会なので、実家でおいしいものが食べたいという。

 Yの気持ちを考えれば確かにそうなのだが、息子のことや、私自身の疲労のことも考えて欲しいと伝える」

 「仕事帰りに病院まで出かけていって、すぐに実家に送迎では、単なるタクシーと変わりがない」

 「仕事、家事、私の実家、病院の4ヶ所を回って、精神的に疲れている(追い込まれている)ので、そのような状況も少し理解して欲しい」と伝えたが、Y自身もストレスがたまっているのか、なかなか分かってもらえないようだった。

 私も仕事で疲れていたので、そこまで言うならもうしょうがないと諦めて、「分かった、もういい」と伝えてメールのやりとりを打ち切った。

 本人の病状が深刻なので、こちらも我慢しなければならないが、入院生活が長期にわたり、父子家庭状況も1年半続いている。

 その辺の苦労もほんの少しでいいから分かって欲しかった。我が家に来たからと言って、家事をしてもらうつもりはなかった。家の中にYがいることが、私や息子に精神的な落ち着きをもたらすのだ。

 17日(水)。午前中Yから謝罪のメールがきた。少し自分勝手すぎたと素直に謝ってきたので、私も少し言いすぎた(書きすぎた)と返信。お互いの立場が分かり合えれば、気持ちは通じる。予定については白紙に戻してもう一度考えることになった。

 19日(金)。白血球は8890と急回復したが赤血球、血小板は低い。しかしノイトロジンはなくなった。外出も交渉の結果2泊までOKとなり、我が家と実家で1泊ずつ泊まることになった。息子がいちばん喜んだのではないかと思う。

 22日(月)。外泊の日だが、上昇傾向にあった白血球が1690と急低下。ノイトロジンを数日とめただけで、大きな影響が出た。急遽ノイトロジンを投与後、昼過ぎ我が家へ。久しぶりに家族3人で食事。会話もはずむ。

 23日(火)はYの実家へ送る。途中あちこち寄り道。

 24日(水)。夕方病院に戻って血液検査。その結果白血球、赤血球、血小板すべてが少なく、4クール目の治療が月曜に延期された。要するに、何らかの薬剤支援か輸血をしないと、自力回復が困難な状態になっているのだ。それでも治療を継続しなくてはならないのか。

 このあたりから、私自身も治療を継続していいのか真剣に悩み初め、いろいろな本を読んだり、インターネットで体験記を探したりしたが、途中で打ち切ったという体験はあまりないようだった。


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