挨拶の重要性

挨拶

 いささか学校側の被害者意識が強すぎると感じる方もいらっしゃるかもしれません。実際大多数の生徒は、昔よりもコミュニケーションが下手かもしれないなあと思いますが、それなりにしっかりと勉強に打ち込んでいると思います。

 ただほんの一握りではあっても、規範意識に書けていて、指導が難しい生徒がいると、その雰囲気が徐々に他の生徒に影響を及ぼし、最悪の場合は学級崩壊という形になります。

 また一見すると真面目な生徒が、時折友人同士のコミュニケーション不足で必要以上に傷ついたり、悩んだりすることがあるのも事実です。

 原因のすべてが少子化や少年時代の子供同士のコミュニケーション不足、親のしつけの欠如にあるとも思えませんが、(いつの時代にも多かれ少なかれ指導のしにくい生徒はいましたので)これらが複合的な要因の一つになっていることは確かだと思います。

生徒の生活環境の変化に伴い、学校は生徒に対して本来の学業以外に、日頃の生活マナーやエチケット、規則というものを教えざるを得ない状況に追い込まれています。

 それはすでに保育園や幼稚園あたりから始まっていると思いますが、送迎バスに乗るときは「挨拶をする」とか、乗ったら「ちゃんと席に座る」、園に着いたら出迎えの先生に「挨拶をする」が最初のマナーですね。

 しかしこれとて、高校に入学しても、まともな挨拶の出来ない生徒は大勢います。まあ思春期ですから難しい部分はあるのですが、朝の通学時、道ですれ違っても視線を合わせようともせず、声を出さないばかりか会釈もしないのでは、教員も朝から疲れます。

 再び家庭の状況に戻りますが、教員の立場としては、「たぶんこの子たちの家庭では、出かけるときに『行ってくるよ』とかも言わず、帰宅時には家族から『お帰りなさい』と迎えられることがないんだろうなあ」と思ってしまいます。

 人と人とのコミュニケーションの根幹にあるのは、たぶん挨拶だと思います。逆に言うと挨拶の声の調子で、その子のその日の機嫌も分かります。

 挨拶に苦言を呈していますが、この挨拶の出来ない人たちの年代は、すでに就職する人たちの年代にも広まっています。つまり新しく教員になった人の中に、挨拶が出来ない人がちらほら見え始めたと言うことです。

 学校では時折「朝の登校指導」という行事を行います。この時は生徒の登校の様子を観察しながら、挨拶をします。しかしただ立っているだけの先生も見受けられるようになりました。(新任の先生の場合は、慣れないのと恥ずかしさで、やむを得ない部分があるのかもしれませんが) 残念であると同時に不安を感じます。

 さて学校では、挨拶が終わると校内に入りますが、一般的には靴を履き替えます。ある程度しっかりした学校では、脱いだ靴はきちんとそれぞれの下足箱に入れられていますが、学校の状態が荒れてくると脱ぎっぱなしの靴が散乱していきます。

 たぶん該当生徒の玄関もそんな状態なんだろうなあと想像していますが、これも学校で指導はしますが、基本的には家庭内でのマナーの問題だと思います。

 挨拶をして、靴をきちんと履き替え、教室に入って自分の座席に座る、という当たり前のことが出来ないような生徒が教室内に一人だけなら、たぶん問題はほとんど起きないと思いますが、これが3名を越してくると、徐々に不穏な雰囲気が広がっていきます。

)


荒れた生徒へ


生活環境へ


トップページヘ