教員の孤立化と若者の活力

  うつ病のことばかり書き続けて、暗い話題ばかりになってしまいました。ここまでを振り返ると、要するに保護者の倫理観子供への躾や教育となり、しっかりした理念を持って育てられた子供達は、おおむね元気に学校に登校します。

 ところが保護者が忙しかったり、家庭内に不和があったりすると、それが子供の精神状態や躾の部分に作用し、学校という団体を扱う教育現場にはなじまない子供が育てられてしまう、ということです。

 その結果、本来は教育機関であったはずの学校が、規則の遵守や躾ということを授業そっちのけで一から教えなくてはならない状況が生まれてきます。

 一方で、学校では教育機器のコンピューター化によりコミュニケーションの機会が減り、教員同士の気軽な意思疎通の場が減り、個々の教員の孤立化が進んでいると思えます。

 現在文科省は人件費削減のため、教員の様々な事務手続を、事務室が行うのではなく教員自身が行うようなシステムを作ろうとがんばっています。それによって事務の負担はかなり減ると予想されますが、教員側は現状よりさらにコンピューターに向き合わなければならない状況が生まれようとしています。

 さらに閉塞感の漂う日本の中で、若者自体からも活力が失われている、とあちこちで囁かれ始めました。身近なところでは、車に興味をしめす若者が減ったとか、留学を希望する若者が減ったとか、暇さえあればゲームをしているとか、本当に心配です。

 一方で、いじめや児童虐待、引きこもりの増加といったニュースを目にする機会も増え、人と人との繋がりも希薄になっている気がします。

 そんな中で、自分の子供にどのような教育を望むのか、私自身、教員であり高校生の息子を持つ親ですから、前回書いたように、つくづく将来へのビジョンが必要だなと感じます。

 我が家の息子には、中学校までは勉強はそこそこで良いから遊べ、と言ってきました。ともかく遊びを通していろいろな体験をすることが大事で、その体験からさらに興味関心が湧いてくるのでは、という思いがあったからです。

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