活力を生み出すには体験が一番

 私は体験に勝る教育活動はないと思っていますので、理科の教員になった当時から、授業になるべく多くの実験を取り入れるよう努力してきました。

 実際に実験をすると良くわかりますが、高校生ぐらいでも体験が少ないなあと良く感じます。どんなところに感じるかというと、「マッチが擦れない」。片っ端からマッチを折ってしまう生徒が続出します。

 マッチに火をつけたのは良いけれど、その後何をして良いか分からず、ず〜っと持ちっぱなしで、指の先端が熱くなってびっくりしてそのマッチを放り投げる。

 ガスバーナーのガスを出しっぱなしにしてから火をつけるものですから、いきなり大きな火が出る。(冷や汗ものです。過去に髪の毛を焦がした生徒もいます)。三脚の真ん中にビーカーをのせず、はしっこにのせてちっとも温まらないと叫ぶ。

 ともかく日常生活のほとんどがボタン一つで済んでしまうような生活からは、能動的な発想は生まれないと思うのですがどうでしょうか。

 しかしながら、一方で特定の分野に突出した知識を持っている若い人たちが大勢いることも知っています。

 例えばヤフー知恵袋に代表されるような、質問と答えのサイトを見てみると、実にたくさんの方々が専門的な知識を披露しています。私も授業のヒントになるものはないかと時々参考にさせてもらっています。

 また「価格.com」あたりの電気製品のレビューを読むと、製品の質や使いやすさについて、実に詳細に説明されている方がいます。ひと頃は電気屋さんの一握りの専門家しか知らなかったようなことを一般の方が知っています。

 パソコンやその周辺機器のレビューになると、専門用語がボンボン飛び出し来るので、やりとりを読んでいても何のことだか私にはさっぱり分かりません。これだけ詳細に批評されると必然的にメーカー側の意識もずいぶん変わると思います。

 またアマゾンあたりの書評やCDの紹介を見ると、これまた実に専門的なことが書かれています。その意味では、外的に活動する能動的要素は減ったかもしれませんが、それが内向きなエネルギーとなり、深化しているという見方も出来そうです。

 特にネットの世界がもう少し発達してくると、双方向通信の精度も上がり、文字や映像だけでなく、それこそ居ながらにして対面で議論を交わすと言うことが可能になってくるはずです。(もうすでに環境は整っていると思います)
 そこから何が生まれるか?それはもう私には想像もつきませんが、すでに我が家の息子は友人どうしで掲示板を作り、様々な情報交換を行っているようです。

 物質のやりとりではなく、情報のやりとりだけで経済が活性化する、という方策が必要になるのかもしれません。このあたり私自身もまだよく分かっていないので、言葉足らずです。

 一方で学校では相変わらず教員がチョークを持って、黒板に小難しいことを書き並べ、「ここは大事だ。試験に出すかもしれないぞ」みたいなことを言って生徒を指導しています。なんか時代遅れの教育制度だなと感じているのは私だけでしょうか。

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