教員の仕事と学級崩壊


教員集団として機能するには

 コンピューターにかじりつきっぱなしで、コミュニーケーションがほとんどない職場では、何か通常とは異なることが起きても、それが全体に浸透するまで多くの時間がかかります。

 異常に気づいた教員が「来週の会議で議題にしよう」と思っていても、事態の進行が早ければ週末には新しい展開が生じているかもしれません。つまり何らかの異常を感じたら、それをすぐ同僚や学年主任、生徒指導担当に伝え、主任や生徒指導担当は、その状況を即座に管理職に伝え対応を話し合うという体制が必要です。

 また逆に、管理職は常に教員の動きや考え、指導体制に興味関心を払い、様々な形で教員とコミュニケーションを常日頃からとっておかないと、情報は管理職に到達する前に立ち消えになり、対応が後手に回ります。

 ところが現実には、私の過去の管理職を振り返ると、教頭は職員室にいますが、校長は朝の打ち合わせが終わると、ほぼ1日中校長室にいて、正直なところ何をしているのかよく分からないところがあります。

 まあ常に校長が職員室の中をウロウロしていては、それもちょっと目障りかもしれませんが、昼休みなんかにちょっと職員室に来て、ほんの一言でも教員に声がけが出来る校長は、教員からの信頼も厚くなります。


教員の忙しさから生まれる学級崩壊

 教員の忙しさ、校長の職務等、「教育を取り巻く環境は日々悪化しているなあ」というのが率直な感想ですが、そんな中でも、教員という人たちは基本的には真面目な人たちの集団ですから、日々何とかしようともがいていることは間違いありません。

 問題はいくらもがいても物理的な忙しさはまったく軽減されず、むしろ負担がさらに増えているという現状にあると思います。その結果精神的にも時間的にもゆとりが無くなり、他の教員やクラスのことまで構っていられない、という悲しい現実に直面します。

 学級崩壊からいじめが起き、それが原因?で自殺者が出るという現状は大変痛ましいことですが、自殺といじめの因果関係については、管理職は一様に調査中と言い、一般の人からは責任逃れに聞こえるような発言が続いています。

 たぶんほとんどの教員は、管理職も含めて因果関係については肯定的な意見をもっていると思います。でも「因果関係があった」とはっきり述べることが出来ない、何らかのはたらきかけがあったとしたら、これはさらに悲惨です。

 一部の新聞報道にチラッと書かれていましたが、いわゆる企業の「成果主義」を教育の場に持ち込んだことが、原因の一つであるような気がしてなりません。

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