最後のクールへ

 9月11日(火)、転院86日目。

 血圧、体温ともに正常。10時過ぎアドリアシン、11時ちょっと前にエンドキサン。点滴中は特に問題なし。順調に治療が始まった。

 12日(水)。いつもの時間に病院へ。一夜明けて若干微熱。そのほかは異常なし。点滴は高栄養剤、ソルデム、ノイトロジン。赤血球が輸血される。

 体調は良さそうだが、LDH、ALPの数値が上昇傾向。抗がん剤を入れると上昇することが多いようだが、薬のせいか病気のせいかがはっきりわからないのが困る。Yは元気。その様子を見ていると安心できる。

 16日(日)。今日は日曜だが仕事。特に問題ないので安心できる。夏を過ぎ、当初予定した治療期間も徐々に終了に近づいている。このまま波乱がなければいいのだが。

 主治医たちは、常にいつ何があってもおかしくありません、という態度をとり続けているので、毎日毎日気が抜けない。実際突然高熱が出ることが何回かあったので、主治医の見解も脅かしばかりではないのだろう。今日もノイトロジンが投与されている。

 17日(月)朝微熱だったが、その後下がる。点滴はソルデム、ビーフリードが継続して投与されている。体調等得に問題なし。その後は21日(金)まで順調に治療が進んだ。驚異的な回復力だと思える。

 22日(土)、転院97日目。前の病院も合わせると入院生活も100日を越した。この間、Yは自分の病状に対してあれこれ詮索することもせず、自然体で治療を受け入れている。愚痴や不満もほとんど漏らさない。

 模範的な患者といえるだろうが、心の奥底では辛いことも多いだろう。それを見守ることしかできないのが辛い。

 Y自身はもともと食べることが大好きで、栄養士の資格も持っている。料理の腕もなかなかで、テレビの料理番組も良く見ている。旅行も好きで、行った先でおいしいものを食べるのを無上の喜びとしていた。

 それが味覚異常と口内炎という副作用で閉ざされてしまったわけで、本来なら精神的に落ち込む大きな原因となったはずだ。

 しかし「必ず治してハワイに行く。そしておいしいものを食べる」という目標を持ち続けたことが、病気を克服する上で大きな支えになったことは間違いない。

 実際、個室で寝たきり状態から出発し、トイレに自力で行けるようになり、洗髪やシャワーが出来、少しずつ行動範囲が広がっていったことは、Y自身にとっても大きな喜びだっただろう。

 この日はついに大部屋への引越しとなった。突然新たな入院患者が現れたようで、急な申し出となったが、我々自身が飛び込みの入院患者であり、現在の病状を見てもやむを得ないと判断し、大部屋へ移ることにした。

 3ヶ月以上個室にいたわけで、それなりに荷物があり、引越しはかなりの仕事量になったようだ。詳細は分からないが、多数の看護士さんたちが総出で手伝ってくれたらしい。もともとYは社交的な性格なので、献身的な若い看護士さんたちの受けも良いようである。

 新しい部屋は、個室の二倍程度の広さがあるが、そこに四人が入る。窓側中央にトイレや洗面所がある。個室同様テレビや冷蔵庫、棚が置かれ、狭苦しい大部屋のイメージはない。同室の女性たちとはすぐに打ち解けたようだ。

 しかし見舞いに行くとき気を使うようになってしまった。家族だけのプライベートな会話をしにくくなり、またベッドの周りの空間も狭くなったので、三人以上で見舞いに行くと居場所がなくなる。

 さらに当然女性ばかりであるから、うかつに怪しいおじさんが病室に入るわけにもいかない。痛しかゆしといったところだ。


トップぺージに戻る  第5章 副作用を克服し退院へ 口内炎と最後の発熱へ